雨音日記
今日の大阪は晴れていたようだ。天気予報を見た。
週末の二日間に忙しくしていたので、今日は疲れがドッと出て若干だが頭痛も起きた。
とにかくダルくて涙が出た。
夜は早く寝よう。
喉も痛いし、スッキリしない感じが嫌だった。
娘が学校で友達に筆箱を踏まれてしまったと泣いていた。
わざとではないのだが、トイレから帰ってきた直後だったので、生理的に汚い感が強くとても嫌だったらしい。
顔には出さないで、ぜんぜん平気なフリをしたという。
まぁ、友達もわざとじゃないし、謝ったし仕方がない事。
そんな事で泣ける若い娘の柔らかい心にいつも驚く。
良い事だともなんとなく思う。
きっと小さい事が、何かの象徴だったり、キッカケだったりして泣くのだろう。
頑張れ娘。
以上
雨音日記
今日はネット環境の見直しに取り組んだ。
2年契約の縛りが終わるのでやらなければ。
忙しい人と、情報弱者への嫌がらせのような複雑な契約形態が余計なオペレーターの人件費を生み、その費用が我々の使用料金に盛られてくる悪循環をどうにか見なおして欲しい。
いろいろやって疲れた。
お得な契約を探すのに、結局、1番大切な自分の時間を削るなんて。
人生時間はお金じゃ買えないのにね。
しかし何処かで、こんな生活の中の雑用が出来る、出来ないが、自分の社会的な理解能力の値を見るゲージになるのかなぁなんても思う。
こういう事が出来なくなって、ついていけなくなったら、老人の仲間入りで庇護の対象者という訳だ。
だからたまにはやらないといけない。
そして、ついていけなくなったら全部、断捨離しようと思っている。
理解できない機能なんて、その時点で便利とは言えない。
今の時代は、ネットを始め、通信環境がない人は変人扱いされるかもだけど仕方がない。
ま、とうぶん先の話だけど、電話のオペレーターと話しながら、頭の隅にチラリと浮かんだ。
少しずつ、老後の事なんか考え始める今日この頃である。
雨音日記
「relax」
フロントに小さくプリントされているTシャツを12年くらい前に沖縄で見つけて購入した。
私のお気に入りの一枚である。
ハリウッドスターたちが、映画の中でよくボロボロのシャツを着ているシーンがある。
彼らが着るとそれは相当かっこよくなり、真似すらしたくなったものだが、なかなかそこまで着込みたくなるシャツは少ない。
だがこのrelaxTシャツだけはボロボロになった。
着るたびに、relaxを願いながら、おまじないを身に纏えるかのように選んでは着ていた。
気がつけば穴だらけに、その「relax」はなっていた。
「relax」のTシャツだからこそ、その様に気がついて
そしてガックリ落ち込んだ。
Tシャツすら、ちっともrelax出来てはいない事が見て取れた。
フル回転で働きづめ。
くちゃくちゃのrelax
ヘビロテの私の心
休んでも休んでも
追いつかない元気の復活
そんな人間にとって
「死」は 天からの慈愛
雨音日記
今日は娘の英語検定の申し込みのために、ついでに一緒に出かけた。
結局、いろいろまわって疲れた。
そして夕飯時、我家の家訓?私の格言?遺言?
とにかく、自分的な金言を娘に伝授した。
それは、
「惚れたら貢ぐな。」「金は貸すな、殺されると思え。」
まぁ、この2つ。
男運の体感度、マイマス100℃の私が、それでもいままでオトコという生き物とドローでやって来られたのはまさにこの2つを鉄則と知って生きてきたから。
私の周りの女どもは、やっぱり負け組の方が圧倒的に多い。
はたから見て、何とか幸せそうに見える主婦連は、心の中で不満MAX。
世の中はなかなかに厳しいっす。
頑張れ、娘。
私から伝授されたこの世の鉄則2つを胸に頑張れ。
あとは君次第である。
BGM 松任谷由実 「埠頭を渡る風」 「Destiny」
以上
雨音日記
私は壊れたロボットである。
人から言われた事を、精一杯やるようにとインプットされている。
そして、そのことを褒めてもらわないと、まだ相手は満足していないという意味になり
さらにがんばってその人の言う事をするようにプログラムされた。
こんな都合の良い存在はいない。
でも、やはり生身の人間で
ある時から、苦しくなって出来なくなることが起こった。
それは、相手の人間の要求のエスカレートと
それに応えるには、肉体的にも、精神的にも限界を過ぎたためである。
それから、こちら側も相手を値踏みするようになった。
そうしたら、私の献身や服従に見合うような素晴らしい人間などいなかった。
どいつもこいつも、クソばかり。
でも、私の中のプログラムは生きている。
しかしまだ、壊れた私と言う入れ物のなかにプログラムは生きている。
私は、いまでも動く。
頑張る。
そしてクラッシュする。
それの繰り返しの毎日。
あぁ、自分以外の人のように、他人に期待して荷物を背負わせ、自分は舌をペロッとだしてうまい汁を吸う調子の良い感覚が欲しい。
この感覚がなければ、弱い人間は生きてはいけない。
薄汚くなければ、生きていけないのである。
しかし、薄汚いことをつきつけられるのは面白くないから、そのことを指摘されるのを極度に嫌がるずうずうしさも必要。
あぁ、汚らしい。
じゃあ、私はどうする?
自分の理想にはなれないし、なりたくもない。
人に利用されるのもいや。
そう、「人間」をやるのが、私には辛いのだ。
私は、空気や、風や夜の暗闇のように、無機質な存在になりたい。
命はいらない。
人間が苦手。
これはここだけの話。
世の中を歩くときは
「コンナコトハ考エテハイマセンヨ。ナニイッテルノ?私ハフツウデス。」
といって歩く。
みんな淋しいの。
私も淋しい。
私も乞食。
満たされることのない杯。
半端な説教も救いもいらない。
人を拒絶する強さが欲しい。
この頭の中のアンテナを引きちぎりたい。
「ワタシハ普通デス。」
雨音日記
大阪の空は今日も雨。
雨が降るのに、洗濯物を外に干してくれた娘。
それでもエライ。一生懸命に自分を探しているような気がする。
自分に必要なモノと、不必要なモノを見極めることはなかなかに難しい。
私が体を壊したのは、私が生きている間に動けてしまうと娘の自立を妨げるからかもしれない。
物事は上手いように転がっていくのである.....と良いように思い込もうとするが、これもなかなかに悲しい。
今日は、パソコンの壁紙をパンサーのマイケルに変えた。
今は、彼の夢のような歌声が流れている。
死んだら、
もしも死んだら、
彼のいる、穏やかで静かなbanillaskyの空に、
私もいくことが出来るだろうか.....
今日は娘の好きな茄子料理を作りましょう🍆