雨音日記

今朝は雨が降っていたらしくそうとう外は濡れている。

 

いまベランダに出てみたら雨音がしているような音が聞こえた。しかし、肉眼では雨粒は見えない。

あれ?と思って、何度も目を凝らしてみたが雨粒はみえない。

しばらく目の前の竹やぶを眺めていてやっと気がついた。

 

竹やぶに驚くほどたくさんいる雀たちの羽ばたく羽根の音なのである。

 

雀たちは、それは忙しく竹の中を何の目的かはしらないが飛び交っているのであるが、その羽根の音がパチパチ?とも、なんともいえないかすかな音を立てていたのであった。

いま思うと、スズメも一晩中、たっぷりと雨に濡れてしまってだいぶ羽根が重たいのかもしれない。

いつもより大きな羽根の音をパタパタたてて雀が飛び交っていたのであった。

 

ベランダの隅には、今は現実的な仕事をしていない傘立てがあって、そこに娘が小学校から中学校にかけて使用していたピンクの傘が一本さしてある。

 

その傘の柄がだいぶん色あせてしまっていて、もう粗大ごみにだしてしまおうかと手に取った。

そのピンクでうっすらと桜の花びらの模様の入った傘を両手にとって最後の別れとばかりにしげしげとみてみると、傘の先端のほうが斜めにすり減って削れていた。

これはきっと娘が学校から帰ってくるときに、引きずって削れたものに違いなかった。

 

その時の娘の情景や心情、身長ゆえの傘の減りを想像してみたら、やはり愛おしく、けっきょく傘は傘立てに戻すことになってしまった。

 

場所がないというわけでもないし、急いですてる必要もないかな。

 

などと、小さな言い訳をして自分の湿った感情をまたベランダに戻してしまった。

 

ブログを一人で書いている割には、心のどこかで自分が死んだあとに家族にあてた素直な心のメッセージを残しているような気持もしている。

しかし、自分のイメージとは現実はうらはらで、きっと家族はこのメッセージを読んではくれそうもないとも思っている。

家族は私が死んだあとは、割とあっさり前に向かってスタスタ歩いて行くのだろうと思う。

そう一人でなんとなく思う私の口元はいつもニッと笑ってしまうのであった。

 

ブログは面白い。

自分の悪筆に落ち込むことなく、誰も読まない事前提で、人の評価を気にすることなくさらさらと自分の想いを綴れるから。

 

すべてを記録することはできないが、それはそれでまた良いものなのであろう。

 

いや、そのほうが良い。