雨音日記
今日は、とてもとても疲れました。
食欲が全く無く、何か食べなきゃいけないと強迫観念的に考えた挙句、食べたものはインスタントラーメン。
私がこういう時、インスタントモノを食べる時は、大抵、赤信号なんて生易しいものではない。
はい、今日は精神的に核爆状態。
とにかく疲れていたが、お風呂に入った後に床に綿ぼこり発見。
掃除しました。
疲れ切ってきっと怖い夢を見るだろう。
昼間、ウトウトした時も悪夢を見た。
風邪クスリ飲んで寝よう。
あ その前になんか食べなきゃ。
生きるってめんどくさい時があります。
雨音日記
最近、夕方に猛烈にお腹が減る。
その減り方はちょっと病的で、手が震えるような感じ。
糖尿病患者を連想する。
もうずっと若い頃から夕方になると急激にキツイ空腹に襲われるのだけど、それが最近特に酷くなったようだ。
一食分しっかりと食べないと落ち着かない。
しかしこれは仕事しているとまず現れない症状なので、多分頭のどこかがリラックスしているんだろうと思う。
今日は好きな時間に食べられるよって、体が信号出しているっていうか。
昨日はタンドリーチキンのパイを温めもせずにガツガツ一気食べして、今日はグラタンとパンを思いっきり食べてホッとした。パンには、桃のジャムをタップリ。
痩せの大食いの自分を、いつも恥じている自分がいる。
どしゃ降り日記
家を出て行った息子の写真をネットで見つけた。
もう家を出ていって随分たつ息子だ。
写真の息子は、出ていった時に作ってあげたメガネをかけてはいなかった。
見たことのないチェックのシャツを着ていた。
その表情は、私の知るあどけない普通の顔だった。
胸が痛い。
なぜ痛むのか。
悲しい。
息子の幸せを毎日、祈っている。
出ていった日から今日まで、亡くなった息子と同様に、毎日、思い出しては心が曇る。
そして泣く。
そして最後に、息子の幸せを祈って1日が終わる。
そしてまた今日も悲しみに暮れる。
雨音日記
風邪をひいているらしい。
鼻が詰まってかなりふべん。
映画のアルゴが意外に面白かった。レビュー書きたいな。
今まで観た映画のレビューをまとめたいという思いがあるのだが、観た映画の総数があまりにも多くてどうしようと思っている。
かなり大変な大仕事。
でも映画は自分史のようなもので書き上げたい思いもある。
ゆっくりやっていこう。
これからお風呂です。
雨音日記
今日は、子供がスピーチコンテストの代休。
「仮眠」と言う名の睡眠を取り続けて、テスト一週間前に至る。
有言不実行。
心底、つかれる。
雨音日記 鴨南蛮
大阪の空は今日もまた雨。
相方の山じーは体調不良との事。
学校から帰って飢えている子供もいるので本日のランチは鴨南蛮そばを作ることにした。
食材の主役 鴨さんは、ネットの食材店で2年前、引っ越した時に購入したバルバリー産の鴨肉ロース。
冷凍庫で眠っていた資源の掘り起こし也。
出来上がりは最高。
めちゃくちゃ上品この上ない鴨南蛮の出来上がり。
鴨の油の美しい事、この上ない。
こんな素晴らしい逸品は、京都でもなかなかお目にかかれない。
食材が真に上等であるならば、大概のものは美味しくできると言ったことを久々に具現化できた。
最近は、どこそこの〜などと言っても旨くないものが多く、買い物するのも用心しながらの時代だが、今日の鴨肉は本物だった。
またあのお店で鴨を買おう。
以上。
雨音日記 清水寺詣り
今日は本当は夜に、清水寺に紅葉狩りの夜間参拝に行く予定であった。
天気予報は、京都は夜から明日にかけて雨とのこと。
雨の清水も、ライトアップされているのだから、それはそれで綺麗だろうし、なにより参拝者が少なく穴なのではないかともくろんだ次第。
近くに住んでいる者の特権を生かそうと、大阪在住2年目の関東人は考えたワケ。
しかし、当日になると色々話したいアホな娘に昼ごろからスタートダッシュをくじかれて、テスト勉強に一人で打ち込めない状況を聞いたりして心が少しブルーに。
そしてほか、諸事情の為(いつか書く)今日は行くのを断念した。
清水さまはすごく好きな場所で、行った回数はまだ少ないが、これからも通わせていただきたいお寺である。
だから、すごく残念に心のどこかで感じている一面があった。
昨晩の夜まで、私の頭の中はJR東海のテーマソングが鳴りっぱなしで。
「あ~ぁ・・・」と小さく思いながら、でもいろいろ仕方がないので、とりあえずお風呂に入ることにした。
お風呂にはいり、防水ラジオのスイッチをいれるとちょうどNHKラジオの古典購読が始まったところだ。
テーマは宇治拾遺物語。
面白く湯船につかりながら聴いていた。
久しぶりに聴いて、面白かった。129白河法皇、北面受領の下りのまねの事などは、他人事ではない。
そして、「130 清水寺 御帳賜る女の事」が語り始められた。
世を憂いた、しかし浅はかな信仰心の女と、その心を知った上でそれでも何度も救いを下さる有難い慈悲の観音様、そしてその霊剣あらたかななご利益に気づき生きていく女のお話。
この話は、実は私は初めて聴くお話で、とても興味深く聴いていたのだが、聴きながらふと思った。
今日は清水寺にお参りに行けなかったけど、こうしてこの清水寺と女の信仰心についての話を聴く機会に恵まれたのは偶然ではないのではなく、清水寺の観音様のお導きではなかろうかと。
神様や、仏様は本当にその存在だけで大きい。
普段、信仰心のあまりないこの一介のおばさんにさえ、こんな気持ちにさせてしまうのである。
ありがたく、自分の思いつきを信じることにした。
そして、今日は清水寺に直接いけなかったけど、清水寺に参拝させて頂いたのに準ずるくらい宇治拾遺物語の語りを聴いて、仏様の存在を考える時間をとった。
お風呂場で。はだかんぼうで。
お湯に疲れて、結果、こうべを垂れて聴いたりしていて。
日本は凄い国。
どこにでも、神様と仏様は存在する。
ちな、語りの加賀美幸子さん、解説は伊東玉美(白百合女子大学 文学部教授)さんのお話、素敵でした。声も素晴らしく発音も美しかった。
また聴きたいです。
以上。